権現山・扇山・百蔵山(中央線)



                         96年10月27日(日)快晴

 墓村855…和見分岐1025…1055権現山1110…浅川分岐1200…扇山1250…1
 (500) 90 (1060)  30  (△1312) 50 (・867)  50(△1138)80

410百蔵山1420…1525JR・猿橋
 (1003)  65


                体力度B 神経度B(歩行合計 6時間05分)
◇5万図 上野原 都留
□筆者参考文献 「東京周辺の山」(山と渓谷社)他

 権現山は、もっと早く登っていても良かったのですが、中央線の駅からちょっと奥まった所にあるため、後回しにしていました。そのうちに、東京から日帰り可能でメジャーな山は殆ど登り尽くし、もっと不便な山やマイナーなコースにも手を出し始めていた矢先、思い出しました。どこか、行くべき山はないかなあ…そうだ、権現山が残っていた、と。
 ガイドブックによると、中央線・上野原からバスで和見入口または、用竹へ行き、そのどちらかを始点、他方を終点とするのが一般的なコース。しかし、たまたま書店で手に取った雑誌に「和見登山口は林道工事のため、12月まで通行禁止」とありました(しかし、実際には、登って来た登山者に出合いましたが…)。また、筆者手持ちのガイドブックには、「権現山−扇山間は、一部道不明瞭のため、一般ハイカーにはお勧めできない」とりました。「一部不明瞭」などと書いてあると、枯れ葉のこの季節、余計行ってみたくなるのが人情。そこで用竹から入り、扇山へ抜けることに決定しました。
 当日、上野原828発飯尾行きのバスもありましたが、ズルしてバス停のある用竹より徒歩30分奥の、墓村までタクシーを奮発(3290円でした)。
 和見分岐あたりは、植林が育って、ところどころを別としてガイドブックにあるほどの継続的な展望はありませんでしたが、そのかわり展望がないはずだった山頂は好展望でした。北面に先程見え隠れしていた奥多摩3山、南面に目を移すと、先程は扇山越しだった富士山は、百蔵山越しに。


 権現山より大岳山方面。


 さて、薮漕ぎ用の皮軍手を装着していざ出発。扇山との最低按部付近は伐採地になっていて、大菩薩方面の展望は絶品。足元すぐ下に浅川の集落が見え、なぜか妙な安堵感。浅川分岐(浅川峠)は、按部から少し登った所にありました。ここからは、少々薮もありましたが、さほどの苦労もなく、大勢のハイカーでごった返す扇山に登り着きました。混んでいるのは好きでないので早々に退散。まだ時間的に余裕があるので、百蔵山へ足を伸ばすことにしました。


 浅川峠の北より浅川方面。


 扇山、百蔵山、どちらの山も、個別には登りましたが、両者を結ぶ尾根は今回が初めてです。こっちの方が、権現山−扇山間より、中央線に近いので、通る人も多く、歩きやすいだろうと思っていたのですが、実際は薮だらけ。適季はまだ、これからかも。しかし、道形は、はっきりしていたので1ヶ所左に巻くべきピークへ直進してしまった以外は間違いませんでした。
 本日最後のピーク、百蔵山からは猿橋駅の南に異様な光景が見えました。小山が切り株状に上部を削り取られて、上面がまっ平に造成されていたのです。切り株状と言えば思い出すのは、数年前、秩父の奥の二子山から見たとなりの烏帽子状だったはずの叶山の変わり果てた姿。叶山の場合は石灰岩採取のためだったので、上面は多少でこぼこしていましたが、今回見たのは、シリコンウエハーのように平面で、何かに土地利用しているようです。



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