2002年 2月 2日(土)晴 西武線・入間市1414…1438高倉寺1445…アンテナ1513…八坂神社1531…1549仏子 (90) 24 (100) 28 (150) 18 (160) 18 (90) 体力度A 神経度A (歩行合計約1時間30分) ◇5万図 川越 青梅 □筆者参考文献 「武蔵野と奥武蔵」(奥武蔵研究会) この日、飯能の西、竜涯山〜柏木山を歩いたのですが、そちらのコースは、出発前には道があるかどうかはっきりしなかったので、早期に退散した場合のサブメニューとして、このコースを考えていました。結局、竜涯山〜柏木山は無事歩ききったのですが、まだ時間もあるので、池袋へ戻る西武線電車を入間市で下車して、このコースも歩いてみることにしました。 金子丘陵は、桜山展望台のある加治丘陵の東側一帯の丘陵地で、北側以外は殆ど市街化してしまっており、今回のコースも山歩きと言うよりは町歩きです(^^;)。 入間市駅からまず、高倉寺(こうそうじ)を目指します。駅周辺は車道が交錯していて手持ちのガイドブック「武蔵野と奥武蔵」(1969年版)では道が分かりません。しかし、5万図で入間市の約1km西、線路から200mくらい南にあるのが判りますので、取り敢ずなるべく線路沿いに西へ行こうとしました。ところが、すぐに高倉寺を示す指導標を発見し、それが南を指すものですから、線路から離れて南下。しかし右(西)へ曲がる事を示す指導標を見付けられないまま、500mくらい南へ行ってしまい、これじゃまずいので適当に右折したら今度は川沿いに北上するしかなくなったり、訳が解らなくなってしまいました。仕方なく、地元の人に道を尋ねてR16をくぐり、後は適当に道を拾って何とか高倉寺に付くことが出来ました。まあ、「道に迷う事を気にしないのは武蔵野を歩く鉄則」(?)ですから(^^;)。 高倉寺は観音堂が国指定重要文化財であるなど、立派なお寺ですが、筆者の関心は裏にある梵天山。ガイドブックによれば「筑波、日光の山々を遠望し、奥武蔵の山脈がパノラマのように眺められる。」という展望台なのです。今日はあまり遠望の利く天候ではありませんが、奥武蔵くらいは何とか見える事を期待して、唐様建築の見学もそこそこに奥へ。最後の建物の裏へ回ります。しかし、そこにあるのは広大な墓地のみ。多分、昔はマウンドになっていたのを墓地の造成で台地状にならしてしまったのでしょう。寺全体が高台にあるので、樹間からそれなりに街の屋根は望めますが、筑波日光方面なんて、近くのビルディングの方がここより高いのでどんなに遠望の利く日でも見えるはずはありません(T_T)。失意の内に西側の車道へ下ります。 梵天山の明治天皇行幸記念碑。車道の西側は金子丘陵ですが、直接入る道はないのか、ガイドブックは車道を北へ行き、踏切を渡り、線路の北側の県道を少し西進した後、再び踏み切りを渡って南へ登るように指示していますので、そのようにしました。 丘陵への登り道のすぐ右側は自動車専用道路が平行していて、始め高架だったのがだいぶ登ったところでは切り通し状に貫いていますが、陸橋があってそれを跨ぐ事が出来ました。陸橋を渡ってすぐ、送電鉄塔の脇から山道になります。ちょっと入ると如何にも武蔵野の雑木林という感じでいい気分。しかし、すぐに植林が多くなります。 金子丘陵の雑木林。ガイドブックでは京塚(土饅頭)や五輪塔があるはずですが、それらを発見することが出来ず、代わりに(?)ツーカーセルラーのアンテナ(高さ40m)がありました。アンテナのところで2分する道を右(西)へ行くと、すぐに老人医療施設のようなものがあり、そこからは市街地になってしまいました。西武線からは丘陵の北側を見るので、林が多く見えますが、丘陵の中央や南側に比べて日当たりが悪いので市街化しなかったのでしょうか。 市街地になっても丘陵は丘陵ですから、折角なので出来るだけ高い所を西に歩いて行きます。巨大なアパートが右手にあったりして、やがて道は突き当たってしまいます。ここから右へ下れば仏子駅も近い筈ですが、左を見ると、そう遠くない所にここより高い場所があるではありませんか。 早速行ってみるとそこの頂上は神社でした。八坂神社と浅間神社が併設されています。ここから西側を見ると足下を南北に走る車道の向う側には武蔵野音大も見え、そちらが加治丘陵であることが分ります。 眼下の車道へは、神社の前(西側)の道を南へ下って合流します。そして、この道を神社の下へ戻るように北へ下って行きますが、加治丘陵へ行ったときも利用した道で、5万図に「金子坂」の注記があります。やがて右手にある、モーテルのような形をした国民宿舎の入口を過ぎれば仏子駅はすぐです。 ▲項目索引▲ ◎トップページへ戻る◎ |