2004年11月 7日(日)晴 (東武線・小川町よりバス)橋場BS900…1004粥新田峠1011…1038大霧山1115… (190) 64 (540) 27 (△767) 31 1146旧定峰峠1151…舗装道(石碑)1215…1248定峰橋BS(バスで西武秩父駅へ) (630) 24 (440) 33 (・235) 体力度A+ 神経度A+ (歩行合計約3時間10分) ◇5万図 寄居 □筆者参考文献 「東京周辺の山350」(寺田政晴)大霧山へは数回行っていますが、芦ヶ久保〜寄居とか外秩父7峰縦走とか、ロングコースを歩く途中にせわしく立ち寄ったことが多かったので、脚も大分衰えて来て、殆ど里山しか歩いていない昨今でもあり、今回はこの1山をのんびり歩いて、山頂付近の伸びやかな展望を満喫しようという趣向。 小川町駅発白石車庫行きのバスは丁度座席が埋まるくらいの乗車率。橋場BSに着く頃には半分くらいになっていましたが、ここでまた10人くらい降り、残り数人を乗せたバスが白石方面へ去って行きました。筆者と共に降りた人数が意外に多かったので、ちょっとがっくり。案の定、全員粥新田峠方面へ歩き出しました(T_T)。日曜日に、有名コースを歩くわけですから、無名の里山のような訳には行かないのは当然ですが(^^;)。 始め谷沿いだった車道が、右へ曲がりくねって明るく開けた緩斜面の山腹上に出れば、無人販売所の先、左カーブの手前からは、槻川の対岸に観音山と正対します。 歩き始めて40分ほどで指導標があり、左へ分岐する細い林道へ入ります。始め、簡易舗装だった道もやがて未舗装で普通の車では通行不能なくらい凹凸が激しくなります。勿論、自動車の通行は1台もありません。 再び、舗装道に出て、交差点の先少々の歩行で粥新田峠ですが、本来の意味での峠(上下する道の頂点)は20m位先です。 粥新田峠。ここからの大霧山への登りでやっと山道(小径)となります。雑木林と植林が交互に現れ時々急登もありで、楽しみながら、少々頑張れば30分弱で大霧山の山頂に着きます。 大霧山への最後の登り。西面、北面と一部東方(観音山方面)が切り開かれていて、開放感溢れる展望が得られます。左武甲山から、奥秩父−西上州−関東平野へと大パノラマが広がりますが、この日は、モヤっていて遠景の両神山や御荷鉾山はやっと輪郭が分かる程度に霞んでいました。しかし、見下ろす登谷高原牧場方面やその左右の平地の眺めは実に伸びやかですし、近景簑山、中景宝登の大小の二等辺三角形もいい感じ。東の樹間の切り開きからは観音山方面も懐かしく眺められました。例の稜線上の赤土むき出しの土木工事現場は思っていたほど拡張されていないようでちょっと安心。 大霧山より登谷高原牧場方面。十分展望を楽しんだ後、山頂を辞して稜線を南下。次のピーク付近では牧場越しに、笠山、堂平山の尾根続き、その右奥に丸山方面も望まれます。牧場の草地は遠目にはゴルフ場のフェアウエイのように見えますが、近付いて見ると完全にラフです(^^;)。 牧場越しに、笠山、堂平山。その先で道は直角に左へ曲がりますが、指導標やベンチもあり誤って直進する恐れはまずありません。やがて、ミニ切戸状の旧定峰峠。小祠の前、2m程の急斜面を注意深く下りましたが、右手(西側)に巻き道もありました。 ここから左手(東側)京塚BSへ下るか、更に定峰峠まで縦走を続けて白石車庫BTへ下るのが一般的ですが、今回は、右手(西側)定峰方面への道を下ることにしました。 この道はハイキングコースとしてはあまり利用されていないようですが、途中一部左右から草が若干被っていたり、足場が湿っぽくて気色悪い場所があったりするものの、極めて明瞭で、誤って藪に突っ込む心配はありません。峠から20分ほどで林道に出、これを右に行けば「白山大権現」の石碑と指導標のある所で舗装道に出ます。 この道を右へ2〜3分進むと左ヘアピンカーブ。この間の距離から、石碑の地点は五万図上で旧定峰峠から描かれている破線が車道に突き当たっている地点より、かなり北であると推測されます。カーブを曲がったら程なく右折。道也に下って行き、お寺の先で右のやや細い車道へ入ります。右手にあるはずの定峰神社に気付かないまま平地の車道に合流。すぐ右の交差点を左折すれば橋の手前に定峰橋BSがありました。 時刻表を見ると西武秩父方面へのバスは10分くらい前に通過してしまっていましたが、40分ほどの待ち時間で次のバスがありましたのでそれを待つことにしました。秩父鉄道・大野原までは歩いても1時間ほどと思われますが、電車の待ち時間もありそうですので、ここでバスを待った方が西武秩父駅まではかなり早そうだったからです。勿論、早く着けばいいとは限らないのですが。 ▲項目索引▲ ◎トップページへ戻る◎ |