2005年6月25日(土)晴(山上曇一時晴) (板橋区の自宅より原付で)柳沢峠1005…1105横手峠1110…1134見晴台1145… (1472) 60 (1550) 24 (・1716) 14 1159鶏冠山1211…横手峠1238…1334柳沢峠(原付で自宅へ) (1700) 27 56 体力度A+ 神経度A (歩行合計約3時間05分) (バイクの運転込みでは 体力度B 神経度A+) ◇5万図 丹波 □筆者参考文献 「マイカー登山・ベスト周遊コース[東京周辺]」(森田秀巳)柳沢峠から鶏冠山へは昔、軽二輪(VT−250F)を使って行った事があるのですが、その時の参考書「東京付近の山」(1979)では、鶏冠神社奥ノ院のある岩頭=鶏冠山で、5万図でも、鶏冠山(黒川山)となっていたので、鶏冠山に登頂した印象のみ強く、その時の歩程で黒川山三角点(該参考書では鶏冠山三角点峰 1710.0)に行ったかどうかの記憶さえ定かではありません。該参考書では、三角点の先にある展望絶景という見晴台の事には触れていないので、当然行っておらず、その後見晴台の存在を知ってからは、機会があれば再訪したいと思ってもいたのです。 と言うことで、今回、スーパーカブ50山行第4弾としてこの山を選びました。250cc級のVTに比べれば50cc級のカブはかなり非力で、不安はありますが、前回、松姫峠(1240)までそれ程の苦もなく行けたので、今回はそれより若干遠く高い柳沢峠から、その時より歩程の長い黒川鶏冠山を目指す挑戦もそこそこ行けそうな気がしました。季節的には梅雨ですが、この週末は天気予報で完璧に「晴」という事で、帰り頃の雷の懸念はありながらも決行。 この日、自宅をもっと早く出てもよかったのですが、朝食に自宅から1時間ほどの道中にある「山田うどん」(営業6時から)の天ぷらうどんが無性に食べたくなり、5時10分過ぎの出発。富士街道から新青梅街道に入り、東村山の陸橋を渡った辺りに目当ての「山田うどん」(東大和店)があります。そこに達するまでには予定通り1時間強かかっており、目出度く入店。いかげその入ったかき揚げがお気に入りの天ぷらうどんを堪能。しかし、この後とんでもないアクシデントに襲われます。 入店時、駐車場にカブを留め、後部荷台にゴムひもでくくりつけてあったザックを外します。どうせ、出発時またくくりつけるので、ゴムひもは垂らしたままにしました。そして、食後戻って来たとき、新青梅街道に復帰すべく無意識にザックを背負ったままカブを押します。すると厭な感じの抵抗感。はっとして見ると案の定、後輪軸にゴムひもが巻き付いてしまっていたのでした。 あわててメインスタンドを立て、後輪が自由に回る状態でゴムひもを引っ張りますが、すんなりとは取れず、力ずくで取ったら先の針金製フック部分がちぎれてしまいました。しかし、それ自体は大した問題ではないし、巻き付いていたゴムひもは残らず取れたようなので、再び押して行こうとすると異音が。 何と、上下からチェーンを覆っているカバーのうち下のカバーが合わせ目付近でひん曲がってチェーンに当たっているではあ〜りませんか!(ToT)。カバー上下の合わせ目にゴムひもが食い込んでしまっていたのでしょう。曲がった方向が内側(チェーン側)のため、小さな6角ボルト2個で固定されたカバーを外さないと曲げ戻せませんが、カブに車載工具は一切なし。 歩道で傘の骨やら木の棒を拾って合わせ目に突っ込み、上のカバーを外側にひん曲げて何とか空間を作り下のカバーを曲げ戻そうとしましたが、直角にひん曲がっているためうまく引っかからず、2〜30分くらい悪戦苦闘しても結局はその付近全体を外側へ曲げ浮かせて、チェーンへの当たりを弱くするのが精一杯。 仕方なく、カバーがチェーンに当たったままの状態で出発。新青梅街道を西へ2〜300m走ったところでガソリンスタンド発見。有り難いことに、そこのおやじさんにモンキーとペンチを借りることが出来、あっけなく修理完了。かなりの時間ロスでしたが、前途を断念する程でもなく、そのまま予定のルートを辿る事になりました。 青梅、氷川、奥多摩湖と辿るのも、最近通い慣れた感じです。丹波からいよいよ柳沢峠道となります。この辺り、昔は、法面が露頭状態で、路面に落石が砂利のように積もっていただけでなく、風が吹くとカラカラと小石が落ちるような音さえして不気味だったのですが、現在ではコンクリートでカバーされ、ネットにも覆われているので、安心して通過することが出来ました。 かなり登ると周りの景色もなだらかになり高原情緒さえ漂いますが、非力なカブは相変わらずあえぎあえぎ登ります。意外に長く感じる最後の急登をくねくねと登って行くとようやく柳沢峠に到着。 柳沢峠の駐車場。峠にはドライブインの手前右手に町営の広い駐車場があり、立派なトイレも建っています。カブを留め対面のコンクリートの階段から始まる登山道へ入って行きます。 初め、ササがかぶり気味で、この季節、先が思いやられましたが、すぐに程度が良くなり5分程で広い遊歩道に合流。結局、ここから先も全歩程、薮の心配はない道でした。この辺り、結構道が錯綜していますが、指導標完備のため、間違えることはありません。 右へ丸川峠方面への道を分け、しばらく遊歩道を行き、林道を横断して再び山道に入りしばらく行って辿り着いた場所に立つ指導標には現在地が「横手山峠」と表示されていますが、筆者が知る限りのガイドブックでは全て「横手峠」となっています。 この辺まで緩く上下してきましたが、ここからいよいよ黒川鶏冠山への登りになります。しかし相変わらず傾斜は程々です。やがて、左手、三角点への分岐に着きます。分岐から1分も掛からず三角点(1710.0)ピークに到着。樹林のため展望はなく、三角点を示す国土地理院の木柱に私製と思われる「黒川山(横手山)1710m」と書かれた板が取り付けられていました。 更に西へ3〜4分行くと比高数mの露岩頭があり、登れば樹林の上に出て視界が開けました。ここが見晴台でしょう。ただし、この日は霞んでいて比較的はっきり見えるのは間近な大黒茂の頭(大菩薩嶺)くらいです。北面は眼下に青梅街道とその先の小山くらいまでは見えますが、奥秩父主脈は全く確認できません。この日、柳沢峠付近までは晴れていたのですが、山の上部は薄雲の中に入ってしまっていたのでした(T_T)。 見晴台。 見晴台より大黒茂の頭。 露岩の間を行く、鶏冠山手前ピークへの登り。分岐まで戻り、北東へ鶏冠山を目指します。少し下ってすぐの頂上直下の登りは、両手も動員して露岩の間を行く道で、本日初めて山登りらしい雰囲気です。そして登り着いたピークが鶏冠山山頂と思いきや、違いました。このピークの北側を巻く道も発見。すぐ先のピークは高さは一つ目とほぼ同じですが、祠があってこここそまさしく鶏冠山の山頂でした。「鶏冠山 一七一六m 山梨百名山 山梨県」の標柱もありましたが、ここを標高1716mとするのは多分誤りです(後述)。 露岩頭の山頂の南面は見た目斜度105°、比高数十メートルはありそうな絶壁となっていますが5万図には(帰宅後ウエブサイト「地図閲覧サービス」で見た2.5万図でさえも)、等高線が交わりそうになっているとか、崖の記号があるとか、それらしき描写が見当たりません。絶壁部の幅が狭いからでしょうか。ここからも、南面及び東面には視界が開けますが、見晴台の時と同様、目立つのはピラミダルな大黒茂の頭のみです。 下りでは先程の一つ目のピークは巻いてみましたが、急斜面を細かく上下しつつトラバースして行く道で、こちらもそれなりの注意が必要でした。 三角点分岐から柳沢峠まで淡々と往路を戻りました。再びカブにまたがり、峠からの下りでは猛烈な睡魔に襲われましたが、ワインディングロードに駐車して仮眠するのも危険な感じがしたので、ひとしきり下るまで我慢して、適当な場所を探していたら、「東京市長 尾崎行雄 水源踏査記念碑」の園地がありましたので、テーブル状のベンチでごろ寝して休息。それ以降は、途中で買った「ブラックガム」など噛みながら、居眠り運転せずに板橋区の自宅まで無事帰り着く事が出来ました。 何冊かのガイドブックの記述を総合的に判断すると、「黒川山」は山体全体の名前で「鶏冠山」はその頂稜部の北東の一角にある祠のあるピークの名前のようですから、鶏冠山=黒川鶏冠山(黒川山の中の鶏冠山)とするのは差し支えなさそうです。また、元来無名峰だったと思われる1710mピークを、山体を代表して「黒川山」とするのも、頂稜部のほぼ中心付近に位置することや、唯一の三角点峰である事からそれほどの抵抗感はありません。 しかし、祠のある鶏冠山の山頂標高を1716mとするのは多分誤りだと思います。帰宅後「地図閲覧サービス」で見た2.5万図には1716mの標高点が描かれておりますが、それは三角点の西方2〜300mの位置、つまり「見晴台」の辺りです。「日本の山岳標高一覧−1003山−」(国土地理院)でも、鶏冠山(国土地理院では黒川山=鶏冠山)の最高点(1716m)を「三角点の西方300m」としています。それに対して、ここで言う鶏冠山は三角点の北東方向にあります。また、その鶏冠山には1700mまでの等高線しか描かれていません。勿論、尖鋒であれば、ピークの標高は最後の等高線より等高線1本分以上高い可能性もありますが、独自に測量した結果が、たまたま別の場所にある国土地理院が認定した最高点と同じ高さだったという事は考え難いのです。どうも、国土地理院がこの頂稜部の最高点と認定した場所の1716という数字を無理矢理ここへ持って来た疑いが濃いのです。 ▲項目索引▲ ◎トップページへ戻る◎ |