2017年2月3日(金)快晴 (東武線・小川町駅よりバス)寺岡BS840(15分ロス)…安戸城跡907…標高点P943 (135) 27 (・239) 36 (・340) …分岐1008…臼入山1019…1029分岐1053…1157官ノ倉山1208…1216石尊山南西1221 25(410) 11(△421) 10 (410) 64 (・344) 08 (340) …1259三角点1312…1330腰越城跡本郭1351(10分ロス)…1410木落しBS(小川町駅へ) 38 (△249) 18 (216) 19 (105) 体力度A+ 神経度A+ (歩行合計約4時間15分) ◇5万図 寄居 □筆者参考文献 「埼玉県の山」(1995 堀江昇他)前回(北側の町境界 291m標高点P〜三郡境のルート)に引続き、臼入山のバリエーションコースです。しかし、今回のコースは官ノ倉山−臼入山の一般的ルート以外の区間もネット上に複数の報告があります。つまり、結構歩かれているルートのようで、前回より難度は低そうです。なので、あまり詳しい情報は仕入れずに出掛けました。ただし、今回は前回身にしみて、多少迷っても余裕のある早出です。 寺岡BSから地形図の破線入口を目指してバス道を100m強前進。神社を見つけ、その先(左側)の小径を登ります。すぐに保育園のフェンスに突当たりましたが右は保育園入口で行き止まり。で、左から回り込んだものの、保育園の裏手から道はありません。バス道に戻って、神社の右の小径を行ったらすぐに保育園のフェンスで行き止まり。またバス道に戻り、寺岡BS方向へ引き返し、今度は保育園の看板のあるコンクリ車道へ入ると、保育園の門の前からはダートになり、明瞭な道が山中へ続いています。これを辿ると、安戸城跡(239m標高点ピーク)に登り着きました。 安戸城跡はその表示と多少の造成跡は見られるものの、門外漢の筆者から見て目立つ城跡らしい痕跡はありません。しばらく行くと突当たり(三叉路)があり、勿論左へ行きます。 340m標高点Pらしき場所を過ぎると伐採地となり、前方には今歩いている尾根が右にカーブして臼入山手前方面へ向かう様子が、右手の主稜(官ノ倉山−臼入山)山腹には車道が望まれます。少し先で右手に車道らしき道が接して来ますが、さっき見えた車道の続きではなさそうです。 340m標高点Pの西より尾根分岐点(臼入山南東約260m)方面。右にカープした尾根道をぐいぐい登っていけば最後斜度が緩んで、登って来た尾根道が主稜の道に突当たる分岐(三叉路)に着き、左に5分ほどで、また三叉路になっているピーク、更に左へ5分ほどで臼入山山頂です。 ここは樹間に展望もあり明るくていい雰囲気の場所なので、弁当タイムにする予定でしたが、風が強く、弁当の中身が吹き飛ばされそうなほどで、しかも寒いので、写真を2枚撮っただけで退散。先ほどの分岐点で弁当タイムにしました。木に囲まれて展望のない場所ですが食事するには風が防げる方が大事です。 尾根道分岐点。左・官ノ倉山、正面斜め左・安戸城跡方面。腹ごしらえが出来たら官ノ倉山への縦走開始。この道は1999年10月に逆向きに歩いているのですが、道の様子の記憶は殆どありません。記録を読むと当時は官ノ倉峠−臼入山のコースもバリエーションルートだったようで、日曜日なのに人に会うことなく、藪っぽい細道を枝道進入に注意しながら歩いたようです。しかし、現在は一般的なハイキングコースになっていて、平日なのに数組のハイカーに出会いました。 8分位行くと、左手に金勝山や本田技研の事業所が見下ろせる場所がありましたが遠景の赤城山等はモヤの中でした。そのすぐ先では尾根道では比較的珍しい竹林になっていて、鞍部を車道が切通し状に乗越していました。今朝、南側の尾根から見えた車道でしょう。 竹林と車道。その先、小さなピークをいくつか越えて行きますが、それぞれに「天ノ峰」「虚空蔵山」「不動沢ノ頭」などと私設の山名表示がされています。 やがて、小広い鞍部に道が交差する官ノ倉峠を過ぎ、「さっきまで無名ピークの上り下りと違い、流石、名のある山だと」と思わせる露岩の出た道を登れば官ノ倉山です。 以前は木立に囲まれて展望はなかった官ノ倉山の山頂の展望が良いのにはびっ栗!。赤城山は相変わらずモヤの中でしたが榛名山はうっすら見えました。木があまりないのにさっきの臼入山のような強風はなく、気温も上がって来たのでベンチに座っているのは結構快適ですが、もう食べるべき弁当がないのは残念です。直下のテラスからは笠山・堂平山が目立ちます。 官ノ倉山東峰に当たる石尊山はこの山域で最高の展望地のはずですが、行ってみると雑木の中で展望がなくて期待外れ。山名標識もなく何かの間違いかと思って頂稜部を20mくらい先へ行って前を覗いてみましたが下ってる感じでやはり樹林帯が続いている様子だったので諦めました。でも、何となく違和感が残ったので、これを書くに当たって調べてみると、やはり勘違いでした(^^;。石尊山の頂稜部は南西〜北東に100mくらいあって、筆者のこの日いた腰越城跡への分岐ピークはその南西端、展望の良い祠のある場所(頂上)は北東端にありました。頂上まで往復する時間は十分あったのに、ここから始まる未知のルートに気を取られ、追求が甘かった事が悔やまれます。 腰越城跡への道は標高差-120mの大きな下りから始まります。ざれて滑り易いところもあるので歩幅を狭くして慎重に下りました。こういうところは別の下り方もあります。足を着いたら滑る間もなく地面を蹴って次の足に体重を移し替えて行く事を繰り返し駆け下るのです。制御不能になりかけたら木に抱きつくようにして減速します。現在の筆者の体力では無理ですが(^^;。 穏やかな起伏となってしばらく行き、滑り易い斜面を細い木が支店になってるちょっと怪しいトラロープにすがって下ると、平らに均されたススキの原に入ります。映画のロケ地を歩いているようら不思議な気分の道です。7〜8分ほどでこれが終わり緩く登って行くと249.3m三角点で、ここは南北100mくらいある頂稜部の北端です。ここから道は右へ折れますが、雑木に囲まれた小広い切開きは樹間に多少の展望もあり、いかにも休憩適地の趣なので標石に腰掛けて地形図を眺め、ここまでの回想や、この先についての確認をしました。 249m三角点。三角点ピークを下ると、送電鉄塔があり、切通し状に樹木が伐採されているので左右とも好展望です。その少し先はもう腰越城跡の一角です。しかし、本郭(山頂)の手前は急斜面で、直登する道はなく、行く手は左右に分かれています。左右とも下り気味なのでどうしたものかと悩みましたが、左へ回り込むと矢印の標識が現れ、それに従って登って行けば本郭に到達しました。樹間に小川町市街や仙元山、笠山等の展望が得られます。 腰越城跡は今朝通った安戸城跡より山城の痕跡が顕著に見られます。また、見学のための階段や案内標識、説明看板等かなり手が入っていて、門外漢の筆者にはどれが遺構でどれが現代造成物なのか判らないほどです(^^;。 腰越城跡本郭。遠景は笠山方面。ここから最寄りの木落しBSを1419通過予定のバスに合わせて時間を潰しました。ゆっくり歩いても木落しBSまでは20分も見れば十分そうで、更に余裕を見て28分前に本郭を出発しました。ところが、流石城跡、下り口がなかなか見つかりません。本郭の東側〜南側の2段下を右往左往。実は、本郭の南側から東へ下る道はなく、北側鞍部から谷沿いに下っていたのでした。地形図の破線が信用できないのは知っていますが、城跡の記号も載っているし、寂れている様子もないので、破線の道は活きていると思って東側〜南側ばかり探していたため、その道をなかなか発見出来なかったのです。下り口を発見したときはもうバス発車予定までの残り時間20分を切っていたので焦って駆け下りました。すると、あっという間に平地に着き、集落を抜けて車道に出ることが出来ました。地形図の破線が車道に出る地点は交差点(Y字路)から40mくらい北東の地点ですが、実際に下った道は交差点から180mくらい北東の地点で車道に出ました。下部は 地形図に実線で載っている道です。 木落しBSは車道沿いの歩道をY字路まで行き、折返すように左折して140mくらい先にありました。前方に見える円筒形の建物はさっき送電鉄塔下からも見えて何だろうかと思ってたら、「パトリアおがわ」という浴室やプール・食堂等のあるレジャー施設部のようです。 今回歩いたコース中、寺岡BS〜主脈分岐点、石尊山南西分岐点〜腰越城跡は殆どのガイドブック等に紹介されていないルートで、平日のためか他のハイカーに出会う事は皆無でしたが、明瞭な道が通っていました。地形図を見ると尾根の屈曲点等、道が不明瞭なら間違えそうな地点もありそうでたが、殆ど一本道で、途中に指導標がない事を除けば難度は一般的なハイキングコースと変わらず、前回登った291m標高点P〜三郡境のルートに較べると平易でした。お手軽に静かな山歩きを楽しめるコースとして、今のところ穴場だと思いますが、そのうち官ノ倉山〜臼入山のように一般化しそうです。 ▲項目索引▲ ◎トップページへ戻る◎ |